中島はる 作曲家

本名 中島晴子(旧姓 松尾)
作詩ペンネーム さわ みどり

 1942年、東京都小石川生まれ。両親の郷里に近い長崎県島原で幼稚園まで暮らす。小学校入学に合わせ、神奈川県川崎市に移住。大田区立田園調布小学校、田園調布中学校、都立日比谷高等学校卒業。66年、東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。
 音楽楽理を柴田南雄、民族音楽を小泉文夫、ピアノを谷康子、生田流筝曲を吉川富子の各氏に師事。卒業論文「エリック・サティ論」は後に「睡れる梨へのフーガ」と題して出版され話題を呼んだ。(東京音楽者'77)
 10代のころより小説や詩を好み、ある夜、声に出して立原道造や中原中也を読んでいる時、その詩の世界を音楽で表現したいと強く思い、その思いを一生持ち続ける。
 大学卒業と同時に、同人誌「ふなんど」、音楽グループ「麗会」(後の「グループ・インテゲラル」)を結成し、創作活動を開始。
 80年代から90年代にかけ、「音楽舞踊会議」「詩と音楽の会」「新・波の会」「日本作曲家協議会」に所属。歌曲、合唱曲、子供のためのピアノ曲、和楽器と声のための曲などを中心に、作曲家活動を展開。
 1992年、創作邦楽コンクールにて「白い曼珠沙華」(歌・筝・尺八)が優秀賞受賞。

 
CD:
「白い曼珠沙華─青山恵子が歌う中島はるの世界」
「長崎を歌う─勝部太と共に」
「ビリティスの花─(萬葉・愛の歌、萬葉・相聞歌)」ほか
楽譜:
「五つの恋唄」(歌曲)、「じゃがら文」(和楽器と声)
「クモの糸のはしご」(ピアノ)、「萬葉・愛の歌─庭もほどろに」(女声合唱)
「旅─山頭火」(男声合唱)、「歌う昆虫記」(混声合唱)
「夜叉蜘蛛」(オペレッタ)
その他、作品の多くが全音楽譜出版社より出版されている

東京インターアーツ、日本蜘蛛学会各会員

2013年2月7日没